日本車の海外進出が盛んになった1982年、1台のコンパクトカーがデビューした。
免許を取得したばかりのドライバーやモータースポーツ入門者などに向け、コンパクトカーの楽しさを多くの人に伝えた初代マーチをご紹介します。
ベーシックモデルから、屋根が開くキャンバストップ仕様、さらにはラリーに出場するためのモータースポーツ仕様までバリエーションを拡大。クルマの楽しさを、幅広い層にアピールした。
1982年に登場した初代日産マーチは、サイズこそコンパクトであったけれど、その存在感は大きかった。デビュー後、10年の長きにわたって生産されたという事実が、このクルマの果たした役割の大きさをしめしている。
意外なことに、企画当初のマーチは試作だけを考えていて販売する予定はなかった。79年に、主担という立場でマーチのプロジェクト立ち上げから関わった日産OBの千野甫さんが振り返る。
「当時、イタリアのカーデザイナーであるジウジアーロ氏が日産に売り込みにきました。そこで試しに、ヨーロッパでは人気のコンパクトカーのデザインを依頼したのです」
ただし目的は市販車として完成させるのではなく、ヨーロッパにおけるコンパクトカーの基準を学ぶことだった。
「ジウジアーロ氏の仕事で驚いたのは、スタイルだけでなく車両のレイアウト設計もていねいだったことです」
千野さんをはじめとするスタッフは、彼のデザイン図や模型を東銀座にあった本社で内覧した。すると役員から「これを進めよう」という声が上がった。とんとん拍子で話は進み、マーチは3年後にデビューを果たす。初代マーチが長く愛された理由について、千野さんは「コンパクトなのに室内が広く、軽いのにボディがしっかりしていたからでしょう。つまりクルマの基本ができていたのです」と語る。
基本ができていた理由は、ヨーロッパを意識して世界基準のクルマづくりに取り組んだからだ。最新のマーチやノートなど、ユーザーに信頼されるコンパクトカーの歴史は、初代マーチから始まったのだ。
当時の最先端を取り入れた。
日産初のアルミニウム製エンジンなど、マーチには先進的な技術が投入され、新しい時代のコンパクトカーを目指した。
1.インテリアもエクステリアと同様に、すっきりとモダンにまとめられている。
2.独特のボクシーなデザインがヨーロッパでも評価された。
イタリアのデザインを採用。
初代マーチのデザインを手がけたのは、イタルデザインの創設者であるジョルジェット・ジウジアーロ氏。数々の名車をデザインしたイタリアの名デザイナーである。千野さんは「デザイン会社なのに技術をしっかり理解しているのが印象的だった」と語る。
3.ジョルジェット・ジウジアーロ氏は1938年生まれ。99年にカー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリー賞を受賞した自動車界の重鎮。
4.生産がしやすいようにデザインを調整して初代マーチが生まれた。
これもマーチの弟分。
マーチからは、こんな変わり種も生まれた。1991年に東京モーターショーで発表されたザウルスだ。このスタイルは、筑波サーキットなどで行うワンメイクレース(同一車種で行うレース)用のマシン、「ザウルスジュニア」に流用された。エンジンなどは、マーチ・ターボRに搭載したものを使っていた。
5. 東京モーターショーで発表されたザウルス。同時に「ジュラ」というコンセプトカーも発表された。
※本記事は2013年5月23日時点の情報を元に作成されております。