人の心を揺り動かすデザインを、日産は大切にしています。
6世代にわたって個性を受け継ぎながら進化したフェアレディZをはじめ、
歴史を振り返るとカタチが印象に残るモデルが少なくありません。
現行車、そしてこれからの日産車にもつながる魅力をもったクルマを紹介します。
日産のスポーツカーデザインを語る上で、やはりフェアレディZの存在は欠かせない。時代を超えて脈々と受け継がれるそのロングノーズ・ショートデッキの佇まいは、日産のフロンティアスピリットの象徴でもあるからだ。初代フェアレディZが北米市場で収めた成功は、当時の日本人に誇りをもたらした。
変えるべきでないものは、変えない。それもまた日産デザインの哲学である。
日産の強いイメージリーダーとなりうるスポーツカーとして、主に北米市場のニーズに沿ったデザインを採用。流麗なスタイリングと信頼性が高く評価され、世界総販売台数52万台という大記録を樹立した。
9年間というロングランモデルとなった初代からバトンを受け、2代目がデビュー。基本デザインを継承しつつも、グリルレスとすることでシャープな印象を高め、ボディのワイド化によって室内スペースも拡大した。
3代目は、ロングノーズ・ショートデッキの伝統を引き継ぎながら、空力を向上するためシェイプアップ。格納時でもヘッドライトの一部が見える「パラレルライジングヘッドランプ」を採用し、話題となった。
フェアレディZ生誕20年目に登場した4代目は、Zらしいプロポーションを守りながら、四輪マルチリンクサスペンションやスーパーHICASなどの先端技術を盛り込み、スポーツカーとしての資質と威厳を高めた。
4代目の生産終了後、2年間のブランクを経て復活した5代目は、Zらしさを継承しつつ現代的な感覚と高品質感を盛り込んだ。また、フロントミッドシップのパッケージングがもたらすスポーティな走りが、世界中のファンを喜ばせた。
現行モデルは、鍛え抜かれた肉体をイメージし、無駄なものを削ぎ落とした機能美を追求。ホイールベースの後輪側を短くしスポーツカーらしさを表現することで、圧倒的な存在感が醸し出されている。
少量生産で遊び心を尖らせたパイクカー。その先駆けとなった「Be-1」は、マーチをベースにレトロ・モダンなデザインを与えた
コンセプトカーとして、1985年の東京モーターショーで発表された。好評を得たことから限定1万台で発売すると、
わずか2カ月で予約を完了。また、南青山にオープンしたBe-1ブランドの商品を販売するBe-1ショップも話題を集めた。
それが支持され反響を呼んだことは、デザインが人を動かす証拠にほかならない。
遊び心が時に大きなうねりを起こすことを、パイクカーは証明した。
初代マーチをベースにつくられたパイクカーシリーズの第1弾モデル。Aチーム(社内案)、Bチーム(異業種交流チーム案)、Cチーム(イタリアの外注案)のうち、「ノスタルジックモダン」をテーマにしたBチームのB-1案が社内で好評だったことから命名された。1987年に限定1万台を発売。
Be-1が発売された1987年の東京モーターショーで発表。今度はレトロにアドベンチャー感覚もプラスした、冒険心を刺激するデザインが盛り込まれた。89年に3カ月限定の受注生産としたところ、5万1657台の申し込みが殺到。納期は最長1年半待ちだったというから驚きだ。
パイクカーシリーズ唯一の商用車として、パオと同じ1989年に発売。街の注目を集める斬新なエクステリアと、荷室高1230mmの広大なカーゴスペースを備えることで、コマーシャルカーとして高い人気を獲得。キャンバストップ仕様も販売され、90年までの約2年間で累計約8000台が生産された。
1989年の東京モーターショーで発表。91年に限定2万台で発売。プロモーションの一環として恋愛オムニバス映画『フィガロ・ストーリー』が全国主要都市で上映されたことも話題を呼んだ。
1993年の東京モーターショーに出展され、翌年に市販化されたコンパクトRV。マーチをベースとしたそれまでのパイクカーシリーズとは異なり、7代目サニーの4WDモデルがベース。とはいえ、パイクカーの精神を継承した遊び心あふれるボクシーなデザインは多くの人々から支持され、一躍人気者になった。
※本記事は2013年12月10日時点の情報を元に作成されております。