モータースポーツの世界は、技術力を磨く場でもあります。
さまざまなカテゴリーのモータースポーツイベントに挑戦し、競い合うことは、テクノロジーのイノベーションに大きく貢献してきました。
そうして磨かれた技術力は、日産のクルマづくりに活かされているのです。
いくつもの伝説を紡いだ日産車たち。
1936年に開催された全日本自動車競走大会に参戦。第2回大会にはスーパーチャージャーを搭載した初のワークスマシンNL-75で挑み、優勝を飾った。
1964年の日本グランプリにおいて、スカイライン GTはポルシェ904GTSを抜き去り、1ラップの間トップに立った。惜しくもポルシェに続き2位でフィニッシュするが、その激闘は日本のレース史の伝説として語り継がれている。
1969年のJAFグランプリでデビューウインを飾ったスカイライン2000 GT-R。その後も快進撃を重ね、72年に通算52勝を記録した。
1990年、グループA規定で行われていた全日本ツーリングカー選手権にスカイラインGT-Rが参戦。93年まで無敗を誇り、29連勝という偉業を達成した。
荒野を駆け、その名を轟かせたラリーカー
オーストラリア一周、約1万6600kmを走破する1958年モービルガストライアルに挑んだ2台のダットサン1000「富士号」と「桜号」。強豪たちを抑え、富士号はクラス優勝を飾った。
3代目ブルーバードはデビュー翌年からサファリラリーに参戦。1970年は4台体制で挑み、総合優勝とチーム優勝を飾り、完全制覇を成し遂げている。
世界ラリー選手権(WRC)参戦を前提に開発されたGTI-R。1992年はRACラリーをはじめ、着実にポイントを重ね、シーズン総合6位を獲得した。
世界を疾走したスポーツプロトタイプ
設計・製作のすべてを日産が手がけたグループCカーとして1991年に全日本耐久選手権でデビュー。翌年には日本人ドライバーによりデイトナ24時間に挑み、総合優勝を飾った。
世界最高峰の耐久レース、ル・マン24時間参戦用として開発。4台体制で挑んだ1998年は日本人ドライバーが総合3位、残り3台もベスト10入りを果す。
最高速度300km/h以上を誇る世界最速の電動レースカーとして開発されたZEOD RC。 2014年のル・マン24時間への出場を目指し、調整を重ねている。
人々の生活を豊かにすることを目指して、日産は技術開発を行い、未来に向けた数多くの研究を積み重ねてきました。
時代をリードする先進技術は、一朝一夕に実用化されたわけではないのです。
高級サルーンに搭載されたターボエンジン
世界各国の自動車メーカーが排出ガスのクリーン化や、燃費性能の向上に本格的な取り組みを開始した1970年代。日産では少ない排気量でも十分なパワーを得ることができるターボチャージャーに注目、燃費向上技術のひとつとして開発を進めた。1979年、高級サルーンであるセドリック/グロリアに、2000ccの排気量から145PSの最高出力を発揮する国産初の量産ターボエンジン、L20ET型を搭載した。
無段変速機を早くから、グローバルに展開。
燃費性能に優れ、変速ショックのない無段変速機CVTの可能性にいち早く着目。1992年にデビューを飾った2代目マーチにスチールベルトとプーリーを用いたN-CVT搭載車を設定し、ヨーロッパでも販売された。 その後、電子制御によりレスポンスのよい走行性能を実現したエクストロニックCVTを開発し、2002年に2代目キューブに初めて採用。いまもなお進化を続け、幅広い車種に搭載されている。
独自のハイブリッドシステムで、
燃費と走りを追求。
2010年に日産フーガに搭載されたハイブリッドシステムは、日産独自の1モーター2クラッチパラレル型。効率がよく、ダイレクト感のある走りを実現する。高出力のリチウムイオンバッテリーを採用し、モーターだけでの走行も可能だ。スカイラインでは、このハイブリッドシステムをさらに改良し、よりスポーティーな走りを実現しつつ、燃費も向上した。
※本記事は2013年12月10日時点の情報を元に作成されております。